こんにちは、フリーゲーム制作者 兼 プレイヤーの倉下です。
4月末にふりーむ!さんのゲームコンテスト結果発表ならびに
コンテスト閉幕のお知らせを受けてか(参考ツイート)、ここ最近は特に
Twitter上でフリーゲームに関する考えを述べるツイートが数多くみられます。
それらを見て改めて考えさせられたので、その内容を以下にまとめます。
★ 本記事の主なターゲット
・シナリオ重視のゲームは埋もれるようになった?
・(特に絵の)クオリティが高くないと手に取られなくなった?
この辺りの是非について考えてみます。
尚、他の方の意見を否定するつもりはなく、
あくまで個人の考察を記しただけですのでご理解願います。
★ 前提
話を単純化するために、焦点を以下に絞ります。
・フリーの(無料でダウンロードできる)
・ビジュアルノベル、アドベンチャーゲーム
ビジュアルノベルは主に
シナリオ・イラスト・サウンド・システムから構成されるコンポーネントであり、
いずれの要素も重要とします。
これらの要素の評価については次の二種類の観点が考えられます。
「普遍的なクオリティ」(客観的な評価)と「好み」(主観的な評価)です。
普遍的なクオリティとは、例えば以下のような観点です。
・シナリオ ... 文が読みやすいか、言葉遣いは正しいかetc.
・イラスト ... 主に下図のようなイメージです

・サウンド ... 音質は申し分ないか、ファイルごとに音量のバラつきが無いかetc.
・システム ... 必要な機能(セーブ、スキップなど)が揃っているか、操作しやすいか
これらの評価について、おおよそ次の3区分があると考えられます。
・×:プレイをやめてしまうくらい問題有
・○:多少難はあるが許せる。脳内補完などでカバーできる。あと一步。
・◎:ほぼ問題なし。
これらはどのような作品でも◎に近い方が良いです。
そして、これらとは別に主観的評価として各個人の好みやフォーカスポイントが加わり
作品の総合評価となると考えられます。
尚、この辺りのお話については当方が作成・使用している
「倉下レビューテンプレート」でも触れているので
ご興味があれば覗いてみてください。
★ 作者とプレイヤーの心境
製作者が作品を作る理由
・表現欲求 ... 自分の描いた世界を作品として形にしたい
・承認欲求 ... たくさんの方に手に取ってほしい
例えばプロを目指している方なら名前を広める・実績作り、
プロであればニーズに答えて対価(お金)を受け取る、となるかと存じますが
趣味で製作している人が作るフリーゲームであれば主に上記ではないでしょうか。
ちなみに…承認欲求が表現欲求以上に強いと本来描きたいものに反し
ニーズに合わせて作品の内容を変えてしまう方もいるかもしれません。
そうするとある種の面白さが失われてしまったりもするのですが…
そういうケースはあまり多くなく、あくまで表現欲求に基づいて
クオリティを上げようとする人が多いのではないかと個人的には見込んでいます。
プレイヤーがフリーゲームをプレイする理由
・入手性&経済性 ... すぐにプレイできる
・各作者さんの作り上げた作品を楽しみたい
・限られた時間/費用で作られた成果を見てみたい
・作者さんとの距離が近い
etc...
こちらはあまりまとまりません;
倉下は上記4つとも当てはまります。
★ 需要と供給のバランスが変わった?
ここ何年かで需要と供給のバランスが少なからず変わったように感じます。
・開発ツールの進化などにより製作の障壁が下がり、作品が増えた
(クオリティも上げやすくなった)
・何らかの理由によりプレイヤーが減った?
(PC利用者減?製作サイドにまわる人が増えた?etc...)

更に
・お金を出せばクオリティを上げることができるようになった
のでは。SKIMAやココナラといったサービスが普及し、一昔前と比べると
お金を払ってイラストなどのお仕事を依頼(アウトソーシング)するのが
容易になったのではないでしょうか…あまり詳しくはありませんが。
加えて製作者の平均年齢が上がって懐に余裕のある人も増えているのかも。
お金を出してでも良い作品にしたいという考え方も増えているのかも
(その背後にあるのが表現欲求か承認欲求かは人による)。
そのために頑張って稼ぐ人もいるのかも。

膨大な作品の中から紹介文とスクリーンショットを見て選ぶことになるので
特にイラストのクオリティはどうしても効いてくると思います。
あとは、何作か作ってスキルアップ人が
クオリティの高い作品を出しているかもしれませんし、
元々有料だった作品が管理の都合や競争激化によりフリー化されたりすることで
フリーゲーム全体のクオリティが上がっている可能性もあります。
複合的な理由で作品の数とクオリティが上昇していると感じます。
更に、投稿サイトの進化やコンテストにより話題作への一極集中も
起きやすくなったのかもしれません。
★ 落としどころ?
先ほどプレイヤーがフリーゲームをプレイする理由として挙げたもののうち
・入手性&経済性
これを重視する人は現状に満足できるのではないでしょうか。
一方、
・各作者さんの作り上げた作品を楽しみたい
・限られた時間/費用で作られた成果を見てみたい
・作者さんとの距離が近い
こうした要素を求める人たち(多いのか少ないのかわかりませんが)が
作品を探しづらくなったというのは確かなのかもしれません。
また、限られたリソースで製作しても
手に取ってもらえないと感じる作者さんが少なくないのかもしれません。
Twitterでのやりとりを見ていて思ったのは…確かに、
スポーツや楽器の世界に「小学生の部」「中学生の部」などがあるように
フリーゲームの世界でも「学生の部」「趣味の部」「原価0円の部」
あるいは「DL数500以下の作品」といったような土俵分け(タグ付け?)が
しばしばあっても良いのかもしれません。個人的には嬉しいかも。
こういうのは一種のプロセス評価なので
作品のみに関心がある人には意味がないと思いますが
自分はプロセス(条件)にも関心があります。あくまで好みの違いです。
こういう時代なのでどうしたものか…という話は
それとなく過去にも触れたので、もしご興味があれば併せてご覧ください
(目新しさのある記事ではありませんが)
→「0. 2) 業界の状況を見つめてみる」
誰かが悪いのではなく、あくまで社会現象と捉えています。
現状を踏まえた上で個々の作者さん/プレイヤーさんが
何を求めてフリーゲームを作る/プレイするのか、
ぼんやりとでも考えてみると多少はモヤモヤが晴れるのではないでしょうか。
あまりまとまりませんでしたが、今回はこの辺にしておきます。
至らぬ部分もあったかと存じますが、最後までご覧いただきありがとうございました!
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